がん患者の妻と生きていくこと

30代すい臓がん、絨毛がん経験者の妻と生活しています。人のありがたさを感じる10年でした!日々のケア等でコメントに回答はできないと思いますが、ご容赦くださいませm(__)m 私の気持ちを吐露することにお付き合いいただければ幸甚です。

妻の病歴①

ブログはやらないと決めていたが、チャレンジすることにした。

妻は30代中盤、膵癌患者。

10年前、我々は結婚した。ほどなくつわりのような症状が出て、喜びの中、産婦人科を受診。エコーに映し出されたのは、卵ではなく、よくわからない物体。

妻は胞状奇胎に罹患した。

すぐに掻把し、3年がたったある日、激しい頭痛。妻の勤務先(病院)で倒れた。

同じくつわりのような症状を伴っていたため、今度こそ妊娠か、ということで、お義母さんが群馬に。子供のことを考えるとCTは撮れないというが、頭痛で悶える姿から、命に代えられないので、すぐに撮影。映し出されたのは、脳に大きく映る二つの影。誰が見ても「終わりだ」と思う画像。その場で家族は卒倒。私は、涙が止まらなかった。

絨毛癌を告げられた。前の胞状奇胎の癌化。200万人に一人くらいの罹患率らしい。

同級生の医師に本当に助けられた。この病気は、抗がん剤がかなり効く。まだまだいける。同級生に神を見た。

地元の大学病院、稀有なこの病気で先進的な慶応病院、セカンドオピニオンに走り回る。

紹介状に加え、私もレポートを作る。

どこでも、予後不良の一言。

痛い痛いと毎日泣き叫ぶ日々。何もしてあげられなかった。何度病院に泊まったことだろうか。今となっては懐かしい。家族を集めてと、初めて看護主任さんにいわれた。

そんな状況がモルヒネで一変した。顔が笑顔になり、麻薬ってすげえなと感心した。

ガンマナイフ、EMA3剤併用療法で、腫瘍は確実に小さくなっていった。

つけっぱなしのルートで、菌血症に、大腸菌が体を駆け巡り、血圧は低下。家族が呼ばれた2回目のこと。再び生還した。

奇跡は起き、寛解

それから5年。それが2年前。病気の悪性度(転移しやすさ)から判断しても、5年は寛解から「治癒」への判断。5年間の間は、大きな体の変化もなかった。沖縄に行ったり、モルディブに行ったり、色々旅行した。

そして、化学療法の後遺症と闘いながらも、妊活を決意。妊娠のマーカーに変化が。

hcgというマーカー、普通では妊娠兆候のマーカーだが、皮肉にも、癌の再発と同じマーカー。

通常では考えられない性周期でのマーカー発現。またも妊娠を目前として、病気再発となり、治療を開始することとなった。