告別式から
昨日、無事葬儀が終了いたしました。
近親者というご案内にもかかわらず、多数ご参会いただき、本当にありがとうございました。
通夜及び告別式は、妻が大好きだったSMAPの「ありがとう」で出迎えさせていただき、「STAY」を葬儀式中のバックナンバーとしてかけました。
私も告別式の挨拶までは、涙をこらえていようと思っていたのですが、「STAY」の歌詞にやられてしまいました。
今年は、SMAPの解散とマオさんの訃報は、末永く延期してもらいたかったです。
ご友人から弔辞をいただきました。
高校時代からナースを目指していたこと、本当に友人ほか皆様に愛されていたことがわかり、遺族としても感激いたしました。ありがとうございました。
挨拶では、妻の病歴に加え、真の看護師になってくれたということを伝えさせていただきました。他は何を語ったか覚えておりません。
その意味ですが、実は、妻は左目と左耳が聞こえません。すべて病気により後天的になったものです。左目は最初の病気により、重篤な菌血症となり、網膜にカビの塊があるため、光はあるが見えません。
左耳は、複合的な後遺症で、聞こえなくなりました。そのため、収骨時に立ち会われた方はおわかりかと思いますが、メガネと補聴器を骨壺に入れました。
ナイチンゲールは、目が見えなかったと聞きます。また、日野原先生は著書で、ナイチンゲールの話に触れ、「患者の気持ちがわかりたかったら自分が病気になればいい」とナイチンゲールの言葉を話しています。
お話ししたかったのは、病気経験有無=素晴らしい看護師、という短絡的なことではありません。
私も妻も、自分の不遇をずっと考えてきました。しかし、人生みな一緒、うちだけではないんだからと自他ともに言い聞かせてきました。
不遇になると、不遇な人の気持ちがわかるのです。目と耳、病気のこと?そうではなく、不遇な人の気持ちです。
これが、我々にとっては一番の財産でした。また、不遇な状態である砂漠では、水がおいしく感じます。人の助けもそうですし、何より「毎日平凡に終わること自体」です。
今日も一日何もなく終わった、これが何よりの喜びでした。
この相互作用を起こしてくれたのが妻だったのかなと思っています。
自分が病気にならなくても目が見えても耳が聞こえても、そういった状態の人の話、生き方を聞いて、慈愛の気持ちを抱いていただく、それを受けた側は救われる。皆さんとそんな関係になれる。笑顔で励まし会える。
妻と私は、そんな10年でした。