がん患者の妻と生きていくこと

30代すい臓がん、絨毛がん経験者の妻と生活しています。人のありがたさを感じる10年でした!日々のケア等でコメントに回答はできないと思いますが、ご容赦くださいませm(__)m 私の気持ちを吐露することにお付き合いいただければ幸甚です。

何をしたらよいのか

今日も仕事が終わってかけつける。ビーフリードをしないという判断をしている。本人は、もうろうとして決めるに決められない。家族が決めるしかない。こんな酷なことがあるだろうか。

癌死なのか餓死なのか、わからなくなる。

家族みんなで考える、これが大事か。

痛くて眠れず、常に夢うつつ。病院なら鎮静させるのか。何がいいのかわからない。

背中をさする。もう骨と皮だけだ。

だが、まだ「干す」には早い気がどうしてもしてしまう。

ビクっビクっとしている。眠りが浅いんだろうな。

つらいが、現実を直視したい。

一日はどうやっても過ぎていくのだから。

つらい毎日

妻の状態。

寝ても覚めても痛い。フェントステープ8mg、レスキューオキノーム散。

モルヒネを入れれば楽になるだろうな、それは入院、在宅でも点滴。「つながれている感覚」が嫌なんだそう。

痛みに耐えても、家を選択。

不安神経症を一か月前から発症。自分もパニック傾向があるので、この閉塞感はよくわかる(笑)。

ずっと吐いている。痰がからむ咳が出てきた。肺メタなんだろうな。

評価をしたところで、今更。毎日を乗り切っている感じ。

さすることしかできない。

自分は、あと一か月以内とみている。

今日は時間外に先生に治療方針の確認。栄養は入れないほうがとのこと。

予後についても、大体私の見立てどおり。

明日、もう一度提案してみよう。少しでも栄養を入れることを。みんなが納得し、後悔しないように。

今、今。

栄養補給

実は栄養剤がここ数日入っていない。聞くと、緩和の先生に、「希望次第」でと言われているとのこと。

足のむくみがひどく、予後等を考えての対応かと思う。

なぜか釈然としない。本人も、むくみ等が相当つらいのか、栄養等の補液はしなくてもよいと言っている。

本人の希望、家族の希望、どちらをどこまで優先するかという話なのかと思う。

本人はとにかく、在宅治療。入院はあり得ない。

 

確かに、妻もわかっている。

今の状態で積極的抗がん剤治療をしないのであれば、疼痛コントロールと栄養補給、これであれば、病院でも在宅でも一緒である。

であれば、当然家で、となる。

 

がん死なのか栄養失調なのか、と考える。

補液が本人にとってつらい、栄養状態も劇的に改善するわけでもない、となればそうなのか。

少しでも栄養を吸収してもらいたい、このままではジリ貧である、これが家族。

緩和医いわく、理論的な話をすれば、ビーフリードでアルブミン値が大幅に改善するわけでもない、むくみがある等、水分は体に良くない、枯れてくれば、ケトン体が出て、穏やかに逝ける。

先ほど、父親と家族会議をした。理屈ではなく、栄養が少しでも入ればとやはり感じているようだ。週一回、二回でもいいから補液をすることを提案したい。

妻も、家族の気持ちがわかっているからそうしようかなとも言っている。

どの選択をしても、後悔は残ると思う。ただ、家族みんなで、患者と家族の双方の理解が必要だと思う。

 

訪問看護

病院の提案で、訪問看護が利用できることになった。これは盲点だった。

ジジババのみの利用であるイメージであったが、確かに必要な人には保険で適用される制度。

先生に指示せんを書いていただく。

入院は絶対に嫌なようだ。確かに現在の状況では、病院であっても家であっても変わりない。

毎日、看護師さんが来てくれる。24時間電話していいとのこと。薬剤師もアパート2階まで薬を持ってきてくれる。

往診も週1~2回。麻薬の増量や精神的ケア含めいろいろやってくれる。

病気との闘いが始まった10年前からずっと思っていたが、日本の皆保険制度、本当にすばらしい。

会社とそして国民に半分づつ支えられている。ありがたい。助け合いの日本。この制度を維持していただきたい。

食事がとれない

ここ最近。

食事が全くとれない。吐いてしまってダメ。ビーフリードを2日に一回

入れていたが、それもやめるとのこと。むくみがひどいため。先生の提案。

歩くこともままならない。無論、外出など到底無理な話。

痛みとだるさで虫のようにうずくまっている。

マッサージをしてあげるが、いつも目が半開きのように見える。

なぜ、こんなつらいことが起こるのか。かわいそうすぎる。

私の見立てでは、一か月なのかなという気がする。根拠はない。

36歳の若さで、もう頑張らないことを受け入れたいという言葉が出てきた。

天は、本当につらい試練を与える。亡くなる一か月前くらいが一番本人も周りもつらい気がする。

だが、できることを一日一日。死ぬまでにできることはたくさんある。

勝手に未来を決めつけたらみんなかわいそう。一緒の時間を大切にしたい。

だが、入りすぎない。自分が壊れるから。

今日もテニスに向かう。

今できること

今できることをやっていく。これしかない。

のめりこみすぎないようにしながら。支えるほうがつぶれてしまう。俺は俺。妻は妻。どうしても、私は、周りの出来事を自分に投影してしまう癖がある。

妻のできることを、人の力を借りながらサポート。一日一日。

妻の病歴②

再発から、また抗がん剤治療。再び、嘔吐、下痢、何でもござれの治療開始。忍耐で耐える。しかし、今度は腫瘍マーカーが下がらない。ほんとは妊娠していたのではないか?疑問が渦巻く。臨床的にはありえない。

効くか効かないかわからない治療。妻もよく耐えた。もう何度、嘔吐し、寝込んだことだろう。

妻も私も、周りの方のサポート、私に関しては、趣味のスポーツ・先輩・後輩のおかげで日々過ごせていた。

 

効かない治療、その原因がある日わかった。何気なく見ていただいた読影の先生から、「主膵管がわずかに拡張している。」とのレポート。まさか。確かにCA19-9も微増していた。

仕事の合間を見て、セカンドオピニオンを繰り返した。

確定診断の結果、膵腺癌だった。幸いステージⅡ。(後にⅢに変更。)

 

神仏はこの世にあるのか。

 

術後、ほどなくして再発。好発部位のリンパ節に転移していた。

アブラキサン(nab-ptx)を始めた。副作用がひどい。手のしびれ。全身倦怠感。

そんなこんなが2年間。笑顔を失っていく妻に癒されない自分。眠いか痛いしか言わない。フラストレーションがたまっていく自分。結婚して初めて手を上げそうになった。泣いた。限界を感じた。

老々介護で相手を殺してしまう、気持ちがよく分かる。

大事にしているからこその行動だと思う。自分に変な偽りの優しさがなければ、妻を実家に送り返し、介護放棄しているだろう。だが、どうしてもできなかった。

 

そして現在。ついに、背部痛を訴え始めた。

内臓神経ブロック施行。著明な効果なし。

 

この病気のおそろしさは、寝ているときに痛くなるという点。昼間つらいから、寝ようとすると激痛で寝られない。こんな地獄があるだろうか。痛い痛いと繰り返す。麻薬を投与しているがこんな状態。昼間は眠い。かわいそうすぎる。

マオさんの訃報。これは堪えた。海老蔵さんは俺と同じ年。本当につらい。

昨日、訪問看護がスタートした。あんなに気丈であった妻が、過呼吸を繰り返し、不安発作を起こし、メンタル崩壊している。私も2年前から不眠・不安で安定剤を服用しているが、まさか自分と同じになるとは夢にも思わなかった。